慟哭。
こんにちは。
普段,私が聞いている音楽は,和洋ごちゃごちゃの取り合わせなので実に節操がありません。
PANTERAの後に,小泉今日子が流れたりします。
そんなこんなのコレクションの中には,中島みゆきもいたりするのですが,最近「慟哭」(むしろ工藤静香の歌として知っている人が多いかもしれません)の歌詞が頭の中に鳴り響いているうちに,ふとこんなことを思ってしまいました。
この歌の「私」,やばくないか?
何の構えもなしに聞いていると,歌詞自体はこんな感じと捉えられるでしょうか。
友達関係ではあるけれどひそかに思いを寄せていた彼が,私ではない人と付き合いだし,その人を私に紹介する,しかし自分の中にある『友達なんかじゃないという想い』は募り,『一晩中泣』く
ながらくそんな感じで思っていたのですが,よくよく考えてみると,この「私」の様子はこんな風にも読めるように思います。
・「私」は「彼」と付き合っているわけではない,彼は自分のことを「友達」だと思っている(「彼」からすれば,「私」は「一番先に(『愛され人』を)知らせた友達」である)
・「私」は「彼」に対して『友達なんかじゃないという想い』を抱いているが,「彼」の気持ちが離れているようにも感じている(『避けられてるかもしれない予感』)。
・「彼」から「愛され人」について「どう思う?」などと聞かれ,「そうね ふたり とても 似合うわ」と答えるも,内心『からかわないで,エラそうに』と思っている。
そう考えてみると,男の立場からしてみたら,別に付き合っているわけでもない(友達以上恋人未満,などという言い方もあるでしょうが)関係なのに,泣かれたり逆切れされたり。なかなか大変です。
もちろん,失恋を思いっきり受け止めている,とか,女性の気持ちを上手に表現している,とか,ふつうはこの歌をそんな前向きな形で評価をするものなのでしょうが,私のようなヒネた人間は「こえー」とも思ってしまいます。
こんなことを言うと「だから男って…〇△◇」などと言われそうですが。
というか,こんなモテ男の経験がないので,その辺の情念の機微については何とも申せません(と言って逃げる)
では。