ゆでガエルはゆだりながら日記

ゆだりきったら左様なら。

2024都知事選狂騒曲 その2

7月8日

 

都知事選が終わった。現職の小池百合子の圧勝という結果で,「大山鳴動して鼠一匹」の気分である。いやタヌキか。

結果的に蓮舫は「出オチ」となった。敗因についてはいろんな人がいろんなことを言っているけれど,出馬表明の際に掲げた「反自民」については(自民党が表立った支援をしなかったことで)肩透かしとなり,加えて蓮舫自身は形式上無所属とは言いながらも立民・共産の全面的なバックアップがあったことでかえって無党派層離れが進み,「非小池」に関しては石丸伸二に食われてしまう結果となった。結局,蓮舫は得票数で石丸にも抜かれて3位,都知事選出馬の段階では国会でも自民党の裏金問題が大きく注目されていたから,その中で最大野党である立民としては蓮舫を出すというのは最大のカードだったのだろうけれど,都知事選「惨敗」という結果となって立民に対する追い風(微風だと思うけれど)もすっかりストップということだろう。蓮舫は次の選挙(衆院だか参院だか知らんけど)に出るとしても厳しいんじゃないか。

石丸に関しては,どうも維新からの接触があったといわれている。石丸側は断ったようだけれど,一部の維新議員は石丸支援に動いたようで,音喜多駿(※)あたりの維新指導部がいら立っているらしい。それはともかく,SNSをうまく使った選挙戦の展開の仕方も含め,石丸本人にとっては十分な成功だったんだろう。本人もほのめかしているように(「広島1区(=岸田文雄の選挙区)から出る」と言ってみたりとか「知名度が上がった」ことを一定の成功とみているとか),国政出馬に向けての下地づくりとしては期待以上の成果が得られたのだろう。もっとも,これまでおもにYouTubeくらいしか露出がなかったけれど,選挙特番とかでジャーナリスト等の受け答えがマスメディアで流れたことで「切り取り」でない発言も世に出ることになり,かえって不快感を抱いたり不信感を持った人もいたりするのだろう。かみさんが石丸のことを「頭いいけど感じ悪い人なの?」と聞いてきたときには,肯定も否定もできなかった。

※音喜多も世間に出初めのころは石丸のようなキャラ作りだったようなイメージがある。「若い」「スマートor歯に衣着せぬ物言い」「クリーン」といったような。今配信のエライ人になってだいぶいろんなものにまみれた感じがあるけど。ちなみに今回の都知事選ではいくつかの地域で都議会の補選も行われ,音喜多の振り出しでもある北区でもあったのだが,おそらく音喜多の支持基盤を受け継いだ都民ファの人が当選した。そう,音喜多も最初は都民ファーストだったよね。

小池百合子に関しては,前回都知事選の公約に対する振り返りがないとか,都合の悪いことには答えない(または笑ってごまかす)とか,結局意思決定のプロセスがブラックボックス化しているとか(これに関しては1期目の時から「側近」を自任していた若狭勝が離れたりとか,ほかにもぽろぽろと告発がある),いろいろと批判はあったけれど,都知事として多少なりとも仕事をしてきたその実績が買われたということなのだろう。ふたを開けてみれば,石丸と蓮舫を足しても緑のタヌキには届かなかったわけで,だから20時の投票締め切りの瞬間に当確ということになった。

 

それにしても,その「20時当確」だが,正直がっかりした。小池有利ということはわかってはいたけれど,石丸にしても蓮舫にしてももう少し食い下がってほしかったのが本音である。じゃあ何でこんなことになったのか,これも上記のことも含め多くの要因があるのだろうけれど,個人的には「争点がなかった」ことが気になる。子育て支援少子化対策とか,景気対策とか,都市防災とか,神宮外苑の整備問題とか,いろいろ並んでいたけれど,どれも目玉にはならなかった。では何が勝敗を分けたのか。現職の有利さと,蓮舫の失点だろう。特に蓮舫に関しては,ろくに政策を吟味しないまま出馬に臨んだような感がある。石丸に関しても政策が具体的とは思わなかったが,「目新しさ」というところで蓮舫に入ってもいい票を食ってしまった。

「争点がなかった」ということに関しては,メディアの問題も一部あると思う。都知事選に関する報道で,今回一番多かったのはおかしなポスターとか政見放送について,つまり本筋とは関係ない話題だった。もちろん「(金のための)売名行為」「ポスター掲示枠を売る」といったことが,選挙の枠組みを通じて行われたことは情けないにもほどがある。「カワイイ私の~」は個人的には好みじゃない(ナイスボデーではあるかも知らん)のもあるけど,借金返済のための出馬という動機を聞くと父ちゃんは情けなくって目ン玉から汗が出る。で,こんな話題ばかりがワイドショーで流れる代わり,肝心の政策的な面で「識者」が何か言うこともなく(そりゃドラ息子の長嶋〇茂あたりにしてみれば「ほぼ全裸」ポスターに関してでもしたり顔でコメントできるだろうよ),割と固い報道番組なんかはそこまでいろんな人が見るわけじゃないんだから,そんな低いレベルでの取り上げ方でしか都知事選を扱わなかったことは残念無念である。

 

あと,私の住む地域でも都議の補選があったのだけれど,これもなんだかパッとしなかったように思う。蓮舫が負けたからと言って自民党が勝ったわけでもなく,都民ファと立民がやや伸ばしたという結果。うちの地元に関して言えば,やはりこちらでも具体的な政策でk値負けが決まったわけではない気がする。

 

どちらにしてもこれから4年間はあらためて小池都政が続く。神宮外苑の問題も気になるし,関東大震災の際の朝鮮人虐殺についての否定的な発言だったり(この件を都市防災の問題という人の意見には私も同意する),なんだかなあの部分もあるけれど,仕方ない。

これから先,どうなるんでしょうね。

 

2024都知事選狂騒曲 その1

2024年7月5日

 

今度の日曜日は東京都知事選だが,いろんな人が感じているように,どうも今回の都知事選は変だ。

 

候補者がやたら多くて(56人だったか)ポスター用の掲示板の枠が足りなくなってしまったり,そのポスターの中には普通の感覚で考えてどうかと思うものがあって一部地域で問題(または話題)になったり,これまで聞いたことのないようなことが起こっている。

例によってこんな文章を読む人はいないと思うので,あくまで自分の備忘のために思うところを書き散らしてみる。

 

① 主な候補者について

現職の小池百合子参議院議員を辞めた蓮舫,もと航空幕僚長としてなかなかライトウィングな考えをお持ちの田母神俊雄,そしてここ数か月でにわかに知名度が上がってきた前・安芸高田市長の石丸伸二の4氏が主要な候補と言われている。そのうち,前者3氏はもともと有名人で,実際ここ30年くらい,東京都知事はマスメディアで知名度のある人しか勝っていない(つまり青島幸男以降ということだ)ことを踏まえても,この人たちに注目が集まるのは理解できる。他方,石丸(NHK党が立てている「じゃない方」の石丸=アディーレ法律事務所はここでは話から切り離しておく)に関しては,私自身ほんとうにここ数か月くらいで名前を知った程度で,東京から遠い広島の市長など一般的な東京都民は知らなくて当然だと思う。けれど,YouTubeを眺めていて,自分の記憶からするとここ4~5か月くらいで急に石丸の安芸高田市議会に関する動画がおすすめに出るようになり,私も「そんな人がいるんだ」レベルの認識を持つようになった,という人だ(邪推すれば,都知事選立候補を見越して本人ないしは支持者がYouTubeの露出を増やしたようにも感じてしまう)。ともかくも「やり手の若手」といった印象だけれど,実際そんな経歴の持ち主らしい。

そんなわけで,「主要候補者」4氏のうち,石丸は「いわゆる有名人」ではない人で,異色といえば異色だ。特段「組織」をバックにつけているわけでもないようだし。これまで数回の都知事選でも特別な支持組織を持っているわけでもないような「有力」候補もあった。具体的は,そのまんま東とかワタミの社長とかがそんなあたりだが,少なくとも彼らは「有名人」ではあった(ワタミの社長はビミョーなところだけれど,ご本人が出たがりな人間なのでメディア露出は多かった)。対して石丸はYouTubeはじめSNSでの発信がある程度注目されているようで,ほかの候補とは選挙戦の展開の仕方が異なるように思われる(逆に,我が家のイエ電には蓮舫事務所のボランティアからのローラー電話があった,今どきでもこんなことがあるのかと驚いた)。

さてここまで「主要4氏」についてまとめてみたのだけれど,そういえば今回共産党が何もしていない。これまで数回の選挙ではだいたい2番手か3番手あたりに共産党推薦の弁護士・宇都宮健児が出ていたのだけれど,年齢の問題なのだろうか。共産党がらみの候補が出てこないのはよくわからないけれど(蓮舫が立民出身だから選挙協力しているのかな,知らんけど),初の「女性書記長」が就任して最初の都知事選なのだから,何かしら発信があってもいいのかなと思う。

 

あと,どうでもいいことなんだけれど,たまたまテレビで(サンデージャポンだったか)田母神俊雄がどこかの商店街で選挙活動している絵が出たときに,田母神の横に見たことあるような人がいると思ったら,高須クリニックの院長だった。YES!

 

 

② 主でない候補者

都知事選とか参院選とかで個人的に注目するのは,何をしようとしているのかよくわからない候補,率直に言って,「泡沫候補」とみなされる人々だ。今回もなかなかに「謎」な人がいる,と言ってみたときに,一番謎なのがNHK党の候補なのだが,そもそも彼ら一人一人が何をしたいのか発信していないので(選挙公報では一様にN党の主張を書いたもの,TOKYO MXでの政見放送でも映像を載せておらず,名前が読み上げられるのみ),無視する。というか,この人たちにはいろいろ思うところはあるけれど,一言にまとめれば「バカにするな!」ということだ。

というわけでそれ以外の候補者を眺めてみたときに,まあいますね。香ばしい感じの方々が。

シャーロック・ホームズ的なキャラクターの人。小池百合子にケンカを売っているらしい。いいから素顔を出せ。

・なんか昔のパソコンの広告で使われたような絵を載せている「AIメイヤー」。供託金を収めているのだろうからリアルな人間がやっているのだろうけれど,だったら素顔を出せ。

・「金持ち優遇」を謳うゴルフ党の人。私にもお金をください。

・「核融合党」の人。リアルなガンダムとか作ってくれるのかな。

稲川淳二みたいな似顔絵を載せている人。時期的にいい感じだと思います。

・宮家の養子縁組がどうとか言っている人。私みたいな下賤のものにはやんごとなき人々について云々できません(いや,まじめに考えれば,国民一人一人が考えるべきことであることはわかってますよ,冗談だって。JODAN JODAN)。

・「将軍未満」のラッパー。私とはヴァイブスが合わなさそうです。将軍的なものを持ち出すのなら,志半ばであの世に行ってしまった羽柴誠三秀吉(=「元気が出るテレビ」の「口ゲンカ王・三上君」のご尊父=青森・五所川原温泉に旅館を持ち,何年かに一度火事で全焼するのだけれどそのたびに火災保険で何とかなってた人=その青森の家すなわち城にミサイル発射設備を持っていた人=泡沫候補の代表選手の一人だけれど,財政破綻後の夕張市長選に立候補して私財を市に投入するという「主張」を展開して市長選で次点にまでつけたことのある人=その後に大阪府知事選に出るのかと思いきや,体調がすぐれたということで出馬せず,その後なくなってしまった人)を学んでいただきたい。

・そしてなんといっても今回の選挙の「目玉」は,やはりドクター・中松(※個人の感想です)。御年96歳。今回も発明で都政を刷新してくれるのか。ちなみに私自身は過去の選挙戦でドクターを2度見かけたことがあって,1度目は参院選だか何だかで新宿伊勢丹前を選挙カーで走っていたとき,2度目は都知事選の際に巣鴨の地蔵通りの入口のところでワタミの社長がじいさんばあさんを多数集めて演説をぶっている反対側で,ビールのケースみたいなのに乗ってトラメガをもって細々と演説をしていたとき。2度目の時には,資金力のあるなしということはわかるけれど,なんだか切ないなあと思いました。今回も候補者の中で唯一イグノーベル賞を受賞している人物のはずなのだけれど。

 

それにしても,やたらめったに候補者が多い今回の都知事選だけれど,ドクター以外はどうもパンチが弱い,ように思う。唯一神又吉光雄エスキリスト(帰天なされました)とかマック赤坂(まだ港区区議会にいるのかな)とか,古いところでは三井理峯とか東郷健(学生時代にこの人の「講演会」に行ったことがある)とか,こういう「濃ゆい」人がいると面白いのだけれど,いかんせん今回は小粒感が否めない気がする(※個人的な感想です)。

 

けれど,ここにあげたような人たちに関しては,その主張をどう捉えるかはともかくとして,一人の候補としては認めてあげたいと思う。内容のいかんを問わず,少なくとも「自分の頭で考えた主張」を,「身銭を切って」(多少の寄付とかはあるかもしれないけれど)世に問うているからだ。先ほどN党については問題外としたが,「そもそも当選する気がない」と公言していたり,選挙後に改めて議論になるのだろうけれど選挙ポスターの掲示枠を「販売」したりと,そもそも選挙をやる気がない。それに加えてさらに質が悪いのは,「良識(ないしは常識)のある人間が候補であるならばこんなことはしないでしょ」という一線を,平気で踏み越え,踏みにじっているとしか思えない。売名目的で選挙とは関係ないポスターを(税金で作った)掲示板に貼るんだったら,渋谷あたりの人目につくところだけじゃなくて,東京の辺境の我が家の周りに貼ってみろ,と言いたい(実際やられたらいやだけど)。

 

ちなみに,東京の辺境の我が家近辺でも,ドクターのポスターが貼ってあったのは素晴らしいと思いました(支持者の方でもいるのかな)。こないだ衆院の補選で五体不満足な人たちの選挙活動を妨害していた人のポスターすらないのに。

 

毎回選挙の時には,真面目なことも考えれば多少不真面目なことでふざけたりもしつつ,なるべくちゃんと注目しようとは思っているのだけれど,とりあえず今回はなんだか変なので,思いつく限りのことはまとめておこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

若者の若者語り

以前,「『知れる』の違和感」という文章を上げましたが,またまたどうでもいいいちゃもんです。

 

私などは学生の時分,バイトとサークルに明け暮れるどうでもいい生活を送っていたので,いまどきメディアやSNSで高校生や大学生といった若い人がNPOを立ち上げたり,盛んにボランティアに励んでいたりするのを見聞きすると,なんと立派なことかと思います。非常に個人的な印象ですが,20~30年前に比べて,社会的な活動に対して関心の高い若者の割合は高くなっているような気がします。

 

それはそれで立派なことだと思います。かつて,私が相手をした高校生の中にも今や「若者世代のオピニオンリーダー」といった触れ込みでニュース番組やディスカッション番組に登場する人もいて,たまたまラジオを聞いていて彼の名前を耳にしたとき,「え?あいつが?」と思ったものでした。いま,彼は若者支援のNPO代表を務めているようです。えらいなあ。

 

さて,今回の話題は別にその彼とは直接的に関係ないのですが,そういう類の人々にまつわるところで感じたもやもやです。

 

それは,彼ら「若者」(ひとまずここで想定しているのは高校生から20歳代半ばくらいの世代,「Z世代」とでもいえばいいのか?)が,自分たちのことを「若者」と表現することがあるということ。特にいわゆる「意識の高い」人々にその傾向があるように感じます。

具体的には,「大人」世代(30歳代以上としておきましょうか)が,「今の若者たちの声を聴く」的なことをしたときに,意見を聞かれた側の「若者」が「僕たち若者世代にとっては~」なんて言っていたりすることになんともムズムズしてしまうのです。あまつさえ,「若者世代の一人として~」などと,あたかも自分が「若者世代の代表」であるかのようなコメントをしていると,どうにも違和感を覚えてしまうのです。私だけでしょうか。そうかも。

 

翻って自分自身が若かったころ,もちろん自分が「若い」ということは自覚してはいましたが,それはどちらかというと「未熟」「経験が足りない」「若輩者」という意識があって,年長者から見れば確かに「若い」ということはそれはそれで強みなのかもしれないけれど,今どきの若い人(の一部)が言うような「若者世代」的な感覚はなかったように思います。

もっとも,昔々から特定の年代を「○○世代」ということはあったわけで,その意味で言えば,私などは「就職氷河期世代」ということになるでしょう。そういう自覚はあります。ひょっとしたら,バブル崩壊後の時期に若い時代を過ごしてきたことが,自己肯定感の低さに関係しているのかもしれません。

 

それに対して,自ら「今どきの若者」を語る人々は,なんとも自信に満ちているように感じられます。もちろん昔から,ひと世代上に対する反発心というのはあったし,「それに比べて俺たちは」という気概もあったでしょう。でも,少なくとも私自身が感じる限り,自ら「今どきの若者」を語る人々の口調は決して上の世代を「古い」ものとして否定するのではなく,「大人は大人,自分たちは自分たち」という感覚でスマートにすみ分けようとする口調のように思います。

 

けれど,それがかえって歯がゆいというか,私のようなおじさんなどからすると,体よく敬遠されているというか,巧妙に疎外してくれているように思われてしまうのです。相手は決してそのようなそぶりを見せないけれど,端から相手にされていないというか。

 

だったらいっそのこと,「これだから昭和は困る」くらい言われたほうがまだましと思うのですが,どうなんでしょうね(実際,そういう物言いをする「平成生まれ」に出くわしたことがあります,もう彼には会うことはないでしょうが)。

 

ハリウッドの老人力

ハリソン・フォードインディ・ジョーンズの新作に出ている。

調べてみればもう80歳とのこと。

過去の人とまではいわないが、007みたいに世代交代しないのが不思議である。

 

それにしても、元気なハリウッド俳優もいるものだ。

83歳のアル・パチーノ、79歳のロバート・デ・ニーロなど、最近パパになった人もいるから驚きだ。

ブルース・ウィリスは引退したけれど、まだまだ元気な老人もいるものだ。

 

しかし、よろよろのインディを見て、楽しいのだろうか。ショーン・コネリーですら、もっと若かっただろうに。

負けない人。

先日、知人がインスタライブを始めたという通知があったので、なんとなく見てみた。

ところがホストは知人ではなく、その知り合いの人で、そんなところに入るのも場違いな気がしたけれど、しばらく見てみることにした。その人はモデル、それもご本人曰く「ぽっちゃりモデル」というものをやってらっしゃるという女性(確かに骨太な感じのスタイルである)で、現在ミラノでのショーの出演を目指してオーディションに臨んでおられるとのこと。ただ私は熱心なファンというわけではないのでここではその人の名前を出すことは控えておく。そこでここではYさんとしておく。

ライブを見終わった後、Yさんがご自身の経歴をまとめた動画を見てみたら、なんともまあ波乱万丈の人生を歩んでこられたらしい。親からの虐待、20歳になったころに遭難した交通事故、そしてそのときのけがの傷跡が残ってしまっていること、そんなことを話しておられた。もともと地元は地方の方なのだが、30歳を過ぎて上京して、いまやっと自分の満足のいく人生を歩めるようになったとのこと。そして、今では足に傷の残った自分自身をありのままに受け入れて、モデルとして挑戦を続けておられている。当面は、彼女の先輩も歩いたミラノのランウェイを自分で歩くことが夢なのだそうだ。

 

夢などという言葉は、個人的には面映ゆくて苦手な言葉である。臆面もなく自分の夢を語る人というのは、ひねくれた性格の私からしてみると(悪い意味で)純粋すぎるように感じられる。ただ、Yさんに関しては、私だったらつぶれてしまうような環境を乗り越えて自分の目標に向かっておられる。正直、尊敬である。

 

今現在の自分を振り返るに、なんだかくすぶっている状態が続いているが、少しでも見習いたいものだ、と思ったこの数日である。

ここ数年のTBSラジオ。

昔から、ラジオといえばTBSだ。

人によっても違うのかもしれないけれど、家や職場でラジオをかけている場合、あんまりいろんな局を行ったり来たりすることはないのではないか。テレビと違ってダイヤルを合わせる手間を考えると基本的に固定になりやすい気がする(今どきはプリセットチャンネルの設定ができるのもあるけれど)。

朝一番からかけているから、各番組のコーナーを聞いていれば、時計を見なくても大体何時かはわかるくらいだ。朝、テレビを見ている人も多いと思うが、視線を奪われないから朝の身支度に影響がなくて済むのが便利だと思っている。

 

休日も、個人的にあまりテレビを見なくなっているから、ラジオを聴いている。そんなわけで、ここ数年のTBSラジオの変わりっぷりが気になってしょうがないのである。

まず、致し方ない理由があるとはいえ、お気に入りの長寿番組のいくつかがなくなった。

荒川強啓デイキャッチ(平日午後)

永六輔の土曜ワイドラジオTOKYO・永六輔、その新世界(土曜の午前中)

大沢悠里のゆうゆうワイド(平日朝~昼)

伊集院光とらじおと。(平日朝~昼)

久米宏ラジオなんですけど(土曜の午後)

赤江珠緒たまむすび(平日午後)

 

荒川強啓の番組は、一説によれば辛辣な政権批判がたたって打ち切りとなった、という風にも聞く。現在では荻上チキの夜のニュース番組が昼に移ってきて報道をやっている。

永六輔に関しては、ご本人がなくなられてしまったからしょうがない。晩年はパーキンソン病に悩まされたのは周知のとおりで、そのせいなのかわからないけれど番組中にも涙ぐんでしまう場面がままあった。その際の外山惠理のなぐさめるような、はげますような対応は今思い出しても素晴らしいものだったと思う。後番組はナイツが受け持っている。

大沢悠里の番組も、大沢が高齢を理由に毎朝の出演から身を引いたことで幕となった。もっとも大沢悠里自体はラジオに対する意欲を依然強く持っており、毒蝮三太夫と一緒んポッドキャスト番組(大沢悠里のGG放談)を始めている。後継は伊集院光

久米宏の番組に関しても、高齢を理由としたものだった。最終回にはゲストに伊集院光が呼ばれていたが、ラジオに信念をもって取り組んできた両者の話だけに、なんだかぐっと来た思い出がある。後継はバービーの番組だったが、これも2022年3月で終了となっている。

赤江珠緒のたまむすびも、10年続いたロングラン番組となった。番組10周年を記念して武道館で行われたライブイベントも大盛況となるなど、人気番組であったし個人的にも平日の休みの日には楽しみにしていたのだが、赤江の「育児に専念したい」という希望から2023年3月で終了。4月からは石山蓮華という人の「こねくと」という番組が始まっている。

 

さて、こうしてみてみると、それぞれの番組が終了した理由はたいてい筋の通ったものに見える。伊集院光の番組以外は。伊集院光も、大沢悠里の後を受けるということで並々ならぬ思いをもって番組受けたのだろうと思うが、突然降ってわいたパワハラ疑惑のせいで、番組を降板する決断をすることになった。おちゃらけるところはおちゃらけるけれど、ニュースのコーナーでは伊集院なりの冷静なコメントを述べるなど、バランスの取れた優れた番組だったと思うだけに終了はいまだに悔やまれる。なお、後継にはパンサー向井の「ふらっと」という番組が始まっているが、スタートから1年以上経つけれどいまだに慣れない。

文春あたりが伝えるところによると、伊集院の番組が終わった理由はTBSラジオの現体制にもあるということである。今の社長はJ-WAVEから移ってきた人で、この人が社長になってから、TBSラジオでは野球中継をやめたり、聴取率週間をやめたり、それまでラジオ放送では当たり前のことを改めるなど、やり手の社長のようである。が、番組編成に関しても新しいリスナー獲得のためか、それまでのAMらしい雰囲気を変えているような節がある。伊集院とはそりが合わなかったとしても無理はない気がする。

 

大沢悠里とか毒蝮三太夫とか、80過ぎの人々に頼り続けるわけにもいかないのだろうけど、耳慣れた、うるさすぎないラジオからは遠ざかろうとしているTBSラジオ久米宏の番組が終わってからの土曜午後なぞはなかなか厳しいものがある。数少ない希望は朝の生島ヒロシ森本毅郎くらいか。

おじさんのぼやきである。

 

※なお、そんな中で聞く人間を選ぶような渋い番組もある。「東京閾値(しきいち)」という日曜夕方の番組で、ディレクターのような人が東京のコアな部分に長けている人にインタビューする内容である。初回は玉袋筋太郎が語る昔の新宿、次に外山惠理の振り返る向島の風景、さらにはなぎら健壱の「下町」定義談義など、派手さはないが滋味あふれるような回があったりしたが、一方である時にはこのディレクターが大井町界隈をうろうろするだけの回など、だれが面白がるのか不思議な時もあった。しかもこのディレクターの声がなんとなく地味なので、先日は玉ノ井親方(元・栃東)にかつての薄暗い西新井について聞く回だったのだが、内容も相まって深夜放送のようにも聞こえた。それにしても西新井と足立区のディープゾーンなんて、普通ラジオのネタにはならないところを取り上げるあたりがこの番組の魅力である。いつまで続くのかわからないコアな番組、聴くなら今しかないだろう。

 

 

「知れる」の違和感

人と話していたり、TVやラジオでの言葉を聞いていて、なんとなく気になることがあります。

たとえば、ここでの本題ではないですが、数年来気になっているのが、「~と思っていて…」という語句を使って延々と話を続けるというもの。

「~だと思っています。だから(しかし)~」とすれば、一つ一つの文章の意味がクリアになって伝わりやすいのではないかと思うのですが、こういう言い方をする人って結構多いんですね。しかも評論家だとか学者といった「学のある」」人にも割合いたりします。考えながらしゃべっているからそのような言葉遣いになるのかもしれないのですが、聞いているこちら側からすると「結論を探しながら話しているのかな」という印象を受けます(個人的な感想ですが)。

 

で、ここで話題にしたいのが、やはり近年よく聞く「知れる」という言葉遣いについてです。

もちろん、意味合いとしては「知ることができる」という言い方の言いかえなのですが、文法的にこれってどう考えたらいいのか、不思議に思うのですね。

「れる・られる」という助動詞の意味は、「可能」「自発」「受身」「尊敬」といったところ。その意味で「知れる」の「れる」は「可能」の意味にしか受け取れないように思います。というより、「知られる」とした場合には「受身」の意味が強くなるように感じるので、「可能」の意味合いで用いるならば「知れる」としたほうが伝わりやすいのかもしれません。けれど、どうも「ら抜き言葉」のように感じられて、少なくとも大人の言葉遣いにはそぐわないように思うのです。

ちなみに、私は「ら抜き言葉」に対して目くじらを立てる人間ではありません。「食べられる」を「食べれる」と言ったとしても、日常会話であれば別に良いように思います。「知れる」も同様です。しかし、先の評論家や学者のような人も公のコメントで「知れる」を使うことがままあるのですね。

じゃあお前はどんな言葉遣いがスマートだというのかと言われれば、当然「知ることができる」が良いのではないかと。しちめんどくさい表現かと思われるでしょうが、この言い方なら「可能」の意味であることは明確ですし、くだけた表現でもないと思います。

このブログをご覧になる(ごくわずかな)方々は、大学の推薦入試の論文についての過去記事を目指してこられる方がほぼ全てなのですが、高校生の作文・論文でも、この「知れる」は散見されます。私の個人的な意見ですが、中高生が現代日本語の文法についてきちんと学ぶ機会というのはわずかであるか、あるいは重視されないことも関係しているのかもしれません。大げさな言い方かもしれませんが、同世代の日本語ネイティヴ同士の日常会話であれば、当然コミュニケーションは成立するでしょう。しかし、若い人々にも大人の言葉遣いを身につけてもらいたい、そんなときに当の大人がいい加減な言葉遣いをしているのはいかがなものかとむくれているわけです。

 

めんどいことを言っていると思うでしょ。その通り。