若者の若者語り
以前,「『知れる』の違和感」という文章を上げましたが,またまたどうでもいいいちゃもんです。
私などは学生の時分,バイトとサークルに明け暮れるどうでもいい生活を送っていたので,いまどきメディアやSNSで高校生や大学生といった若い人がNPOを立ち上げたり,盛んにボランティアに励んでいたりするのを見聞きすると,なんと立派なことかと思います。非常に個人的な印象ですが,20~30年前に比べて,社会的な活動に対して関心の高い若者の割合は高くなっているような気がします。
それはそれで立派なことだと思います。かつて,私が相手をした高校生の中にも今や「若者世代のオピニオンリーダー」といった触れ込みでニュース番組やディスカッション番組に登場する人もいて,たまたまラジオを聞いていて彼の名前を耳にしたとき,「え?あいつが?」と思ったものでした。いま,彼は若者支援のNPO代表を務めているようです。えらいなあ。
さて,今回の話題は別にその彼とは直接的に関係ないのですが,そういう類の人々にまつわるところで感じたもやもやです。
それは,彼ら「若者」(ひとまずここで想定しているのは高校生から20歳代半ばくらいの世代,「Z世代」とでもいえばいいのか?)が,自分たちのことを「若者」と表現することがあるということ。特にいわゆる「意識の高い」人々にその傾向があるように感じます。
具体的には,「大人」世代(30歳代以上としておきましょうか)が,「今の若者たちの声を聴く」的なことをしたときに,意見を聞かれた側の「若者」が「僕たち若者世代にとっては~」なんて言っていたりすることになんともムズムズしてしまうのです。あまつさえ,「若者世代の一人として~」などと,あたかも自分が「若者世代の代表」であるかのようなコメントをしていると,どうにも違和感を覚えてしまうのです。私だけでしょうか。そうかも。
翻って自分自身が若かったころ,もちろん自分が「若い」ということは自覚してはいましたが,それはどちらかというと「未熟」「経験が足りない」「若輩者」という意識があって,年長者から見れば確かに「若い」ということはそれはそれで強みなのかもしれないけれど,今どきの若い人(の一部)が言うような「若者世代」的な感覚はなかったように思います。
もっとも,昔々から特定の年代を「○○世代」ということはあったわけで,その意味で言えば,私などは「就職氷河期世代」ということになるでしょう。そういう自覚はあります。ひょっとしたら,バブル崩壊後の時期に若い時代を過ごしてきたことが,自己肯定感の低さに関係しているのかもしれません。
それに対して,自ら「今どきの若者」を語る人々は,なんとも自信に満ちているように感じられます。もちろん昔から,ひと世代上に対する反発心というのはあったし,「それに比べて俺たちは」という気概もあったでしょう。でも,少なくとも私自身が感じる限り,自ら「今どきの若者」を語る人々の口調は決して上の世代を「古い」ものとして否定するのではなく,「大人は大人,自分たちは自分たち」という感覚でスマートにすみ分けようとする口調のように思います。
けれど,それがかえって歯がゆいというか,私のようなおじさんなどからすると,体よく敬遠されているというか,巧妙に疎外してくれているように思われてしまうのです。相手は決してそのようなそぶりを見せないけれど,端から相手にされていないというか。
だったらいっそのこと,「これだから昭和は困る」くらい言われたほうがまだましと思うのですが,どうなんでしょうね(実際,そういう物言いをする「平成生まれ」に出くわしたことがあります,もう彼には会うことはないでしょうが)。