ゆでガエルはゆだりながら日記

ゆだりきったら左様なら。

祖父の工場,工場の祖父。

こんにちは。

 

先日,祖父が工場を営んでいた話を載せましたが,今日はそんな街の工場について思いつくままに書き散らしてみたいと思います。

 

祖父の工場は,今どきの明るくて清潔で広々とした「こうじょう」ではありません。薄暗くて機械油にまみれている,小さな「こうば」と呼びたくなるタイプのものです。

そうは言っても私は工場の雰囲気が好きでした。

時折祖母に連れられて祖父の工場に行ったりしたのですが,祖父が仕事を上がるまでの間,片隅の「社長室(と言っても電話やら書類棚やらがあるだけの小部屋ですが)」時間を潰している間,工場の様子を眺めていると,職人さんたちが機械の前でそれぞれ作業をしています。大きな機械がぐるぐる,ぷしゅんぷしゅんやっていて,ただそれだけでなんだかかっこいいと思っていたりしたものです。

こうした機械で何しているのかといえば,金属板を押し切っていたりといった作業でした。だからうっかり近づいてはいけなくて,実際祖父は機械に指を挟まれて,大怪我をしたこともあり,そういったあたりが今どきの工場とは違うところでしょうね。

 

ちなみに私が知っている限り,祖父の工場で作っていたのは,シャーペンの根本にある消しゴムをホールドする金属片と,最近見なくなった芯づまり用の針(掃除棒というらしいですね)でした。 後で聞いて驚いたのですが,この針,祖父が考案して特許をとっていたそうです。消しゴムに刺さているあの針,多分40代以上の人は覚えがあると思うのですが,あれ,一之江の町工場の発明品だったのです。

(さらに言えば,消しゴム,金具と針をくっつける作業は,1つ何銭というレベルでの内職仕事でした。祖母がその作業をやっていて,私も手伝ったりしましたが,あんまり単調な作業なのですぐに飽きてしまったように思います)

 

祖父が亡くなる頃には特許の年限も切れており,しかも今では安全上の理由とか言うことで針そのものも一部の製図用シャーペンでしか見られなくなりましたが,ある世代以上の人は知っているあの針(しかも,実は使い方をよく知らない人も多い)を作ったのが祖父だというのは,私にとっての誇りでもあり,だからあの町工場も,小さいながらも偉大な工場であったのだと思っていたりするのです。

 

お付き合いいただきまして,ありがとうございました。

では。