ゆでガエルはゆだりながら日記

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西洋近代美術(主に絵画)の歴史①ルネサンス

こんにちは。

 

そんなわけでここでは,近代以降の西洋美術史についての話題を綴っていこうと思います。

 

まずはルネサンスからです。

 

1.ルネサンス

14世紀のイタリアから始まった,ルネサンスなるムーヴメント。これ以前,中世という時代はカミサマ中心の価値観であったりしたわけで,だから歴史などというものもなかった(カミサマが作ったこの世界の出来事について,人間ごときが価値判断・解釈をするという発想が生まれなかった)時代でした。

そんな中で,古代ギリシア・ローマをお手本に,人間を価値の中心に置こうという流れが生まれ始める,これをルネサンスというわけですね。

時期によってその中心はフィレンツェ(14~15世紀末)→ローマ(15世紀末~16世紀頭)→ヴェネツィア(16世紀)と移っていきますが,基本的にはアーティストを保護するスポンサー(メディチ家とか)がどこにいたのかに関わっています。

※したがって,古代ギリシア・ローマのことを,「お手本となる=クラシックである」ということで,「古典古代」という言い方をします。

 

さて,ここでは全体の説明をするというつもりはないので,いくつか目立つところについて取り上げてみましょう。

 

ボッティチェリヴィーナスの誕生

ボッティチェリといえば,ギリシア・ローマの神々を題材にした作品が代表作として知られていますが,その中でもこの作品が有名ではないでしょうか。ギリシア神話に触れてみたことがある方であればおわかりの通り,当地の神様は非常に人間的な性格を持っています(例えば,最高神ゼウスは奥さんがある身でありながら各地のお嬢さんに一生懸命手を出しています。はくちょうざの神話とか,おひつじざの神話とか,見てみてください)。

で,ここに描かれているヴィーナス,ギリシアではアフロディテと呼ばれる神様で,もとはオリエントの地母神に由来するそうですが,この絵はそのヴィーナス(アフロディテ)が誕生する瞬間を描いたものですね。

ちなみに,アフロディテ誕生のいわれも,神話的にはなかなか「アレ」な感じで,しかもボッティチェリの描いたこの絵のモデルとなった女性も「シモネッタ」という人である(ほんとだよ)のは,なんだか出来すぎな気がします。

ただそれとは別に注目されるのが,この絵では明らかに女性の体が描かれているという点。何を当たり前のことを,と思われるかもしれませんが,当時のアトリエは男社会。だから名だたるアーティストたちも,女性のリアルな姿を表現するのには苦労したようで,実際に「どう見ても少年の姿なのに,胸だけ膨らんでいる」といった彫刻等も多々あります。

 

ルネサンス様式の特徴

ルネサンス期には数多くのアーティストが生まれ,またそれぞれの感性や考えももちろんそれぞれではありますが,ある程度ざっくりとまとめると,「神の作ったこの世界の調和・均整」を表現しようとしたフシがあるように思います。また,中世のキリスト教的価値観に対して古典古代の神々を題材にすることで人間を価値の軸に据える考え(人文主義,ユマニスム)を打ち立てたとも言われますが,一方でパトロンローマ教皇であったりすることもあるように,それでもキリスト教的価値観が反映されることも多々あります。これは他人から聞いたうろ覚えの話でしかないので専門の人から「ちがうよ」と言われてしまうかもしれませんが,例えば「モナ=リザ」であったりこの時期数多く制作された聖母子像などでは,頭,左下,右下の3点を頂点とする構図が取られており,三位一体をイメージしているとかいないとか。あるいは,サン=ピエトロ広場の幾何学的な模様も,中世のスタイルとはだいぶ違いますよね。

ただ,バランスを重視する向きがしばらく続くと,わざとそれを崩してみようとする感覚も生まれてきます。これがマニエリスムと呼ばれるスタイルにつながっていくわけです。

 

マニエリスム

ルネサンスの後期になってくると,美的感覚を重視するあまり,例えば描かれた人物のポージングが無理な(ありえない)様子になっている作品が現れてきます。

例えばティツィアーノウルビーノのヴィーナス

ヴィーナスが横長の画面いっぱいに横たわっている絵ですが,実際にこの絵を見たことがあるのですけれど,ヴィーナスの目が自分の方を向いている感じがします。妙な言い方で申し訳ないのですが,ゾクッとします,変な気分になります。もともと新婚さんの寝室に飾る目的だったとも言われるのでそういう意味では「効果」は十分なのですが,しかしよく見ると,ヴィーナスの首の曲げ方は無理があります。

パルミジャニーノ「長い首の聖母」などはさらに極端で,人間の関節を無視しているのではないかと思われるほどです。

このあとに登場してくるバロックとはまた違ったスタイルですが,均整をあえて崩すという点ではルネサンス以降の絵画への過渡期的表現ということができるでしょう。

 

 つづきます。